前記事の続きです(^^)
私はまずキーパーソンさんのセッションに申し込んだ。
生きてる事が怖い、こんな自分が嫌、人生は不幸の連続であり、いかにそれを回避するかであり、〆には悲惨な老いと死。
そう思いながら我が子に接するのがつらいと涙ながらに訴えた。
キーパーソンさんは、優しい表情で何回もうなづきながら聞いてくれた。
3〜4歳くらいの頃、まだ幼稚園にあがる前。父方の祖父が亡くなった時の記憶がその原因としてあった。
認知症で、日本刀を持ち出したり、何度私をみても、父がいくら説明しても『その子は誰か?』『どこの子か?』と、私を認識してくれなかった。
その次の記憶の場面が、何もない真っ暗な空間で、父と私が立っていて、亡くなった祖父が寝ている部屋だった。人は見えるのに他のものは一切、床さえ見えない。底なしの真っ暗闇…
父が私にしたのは『人は死ぬと何も感じられなくなる。つねっても叩いても痛いと感じないけど、光をみることもできない。。。』という死についての説明だった。
幼子にはその説明怖すぎるって…
父はきっと、だから精一杯生きないととか、周りの人を大切にとか、そういう事を伝えたかったのだと思う。
しかし私には強烈なトラウマとなっていた。
部屋の様子さえわからない。あんな真っ暗な部屋でそんな話を聞いてるはずがないし。そんな空間ないし。
キーパーソンさんは、その記憶は怖い記憶ではなく、過去のただの出来事になるから大丈夫と説明してくれた。
トラウマを解除してもらったその瞬間(説明の途中からかも)、記憶の部屋に明かりがついた。
私は明るい部屋で父の話を聞いていた。
怖い。まだ怖いけど、家の中に他の人の気配もする。底なしの闇は消えていった。
長年の記憶が全然違うものになった。
今でも、思い出すたびに部屋がどんどん明るくなっている気がする。父の表情もぜんぜん違う…不思議。
academy中もあったけど、セッションを受けると記憶の映像や、記憶そのものが変わることがあった。
正確には、恐怖や不安から間違えて覚えてしまった記憶が、正しい出来事を思い出してぱっと置き換わる。ということみたい。
不思議すぎる‼️
その日のセッションは無事に終わり✨キーパーソンさんとお話できたのがとても嬉しかった。
さらに不思議なことに、本当に日が経つごとにその記憶の怖さ、生きることへの怖さが和らいでいった。老いると全ての人が認知症になるわけでもないし、なにを怖がっていたんだろうとさえ思った。なぜ不幸だと決めつけていたんだろう。
子供に対する罪悪感も薄らいだ。(罪悪感はマインドであり自分ではないのは感じていた)
academyが始まったのは、そのセッションの数ヶ月後だった。
受けてみたいと思いながら、一期が終わり、二期が始まり…
私はスピリチュアルにはずいぶんお金を注ぎこんできた。
でも、私が根本的に変わるような出来事はなかったし、もう追求することに疲れていた。
academyを受けて、もしこれでダメなら挫折感がもうなんか説明できないくらいすごいえらい大変なことになるに違いない(語彙力)
その挫折感を味合わう可能性のある選択ができなかった。
受けなければ絶対に挫折感を味合わなくて済む。
キーパーソンさんにメールで相談をすると、3期生を募集するとき、連絡をくれると言ってくれた。
んー。でもきっと、たくさん連絡や相談が来てるだろうし、覚えてるの大変かもだし、そんな手間をかけさせたらいけないと思って
お忙しいと思うので、3期の募集が始まったら自分から連絡する旨返信した。
連絡は来ないと思ってた。
でも、そう。3期生の募集告知後すぐにメールで連絡をくださったのがすごく嬉しかった。覚えててくれたんだ!
私は受けるのが怖い、今までお金もたくさんかけてしまったと正直に伝えた。怖がってるのがマインドだとわかっているのに、踏み出せない。また自分がダメって思う結果だったら、立ち直れない。どうしてもブレーキを踏んでしまう。
キーパーソンさんは今の選択で未来が変わること。前に進めなくなってしまうループには、いくつもの原因があること。どうせ変われないってブレーキを踏むYUKIじゃなく、アクセルを踏み続けるYUKIになれる。スピリチュアルジプシーも終わりにしましょう。そう背中を押してくれる。
決意ができないまま、返信出来ずに数日。私は事故にあった。
幸い大事に至らず、すり傷と捻挫で無事だった。
その日は怖くて眠れなかった。
もし対向車がきていたら?
もし今の生活ができなくなるくらいケガをしていたら。私は何を後悔しただろう。
なりたい自分があったのに。やりたい事があったのに…
せっかく無事だったのに、そこへ向かわずどこへ行くのか?
なりたいものがあり、今挑戦できるなら、このままでは終われない。
私はそのままacademyを申し込んだ。
キーパーソンさんの『託してください』という言葉が心に強く響く。
それからはもう、わくわくする毎日が始まった。
academyは新しい発見の連続。新しい自分、新しい思いつき、新しいやり方。たくさんのシンクロ。いつもと同じ私と、違う私。
✨魂の仲間の温かさ✨
あ、この歳でまだこんなに気づける事…あったんだ😇
もう新しくできる経験ってなくなっちゃったって思って寂しくなった事があったなぁ…なんて思い出した。
できないと思ってた事が少しずつできるようになった。ゆっくりだけどやろうと行動にうつすことができるようになった。好きだったものを思い出した。
無能だと思ってた自分を少し好きになってきた。一生懸命自分に向き合おうとする自分がなんだか可愛く誇らしい。
academy3期はまだ途中だけれど、私は明らかに以前よりブレーキを踏まなくなった。
あ、私ってちゃんといたんだ。いたじゃん。本当の私。ブレーキの奥に。
ずっとずっと、いつかやろうとその時を待つ私、今までありがとう。
気がつけば、やりたいことのために今できる選択をし、行動している私がいた。
すべてはうまくいっているということが、academyを通じて体感できたからだと思う。
冒頭の画像は、先日突然当日の思いつきで、私にスピ入門のきっかけを与えてくれた、氣功の友人と(前半に登場)九頭龍神社の本宮さんへ行った時の写真。
出発したはいいけど、電車もバスも乗り継ぎがうまくいかなかったり、降りる駅を間違えて引き返したり、レンタサイクルが終わっていたり、閉園ギリギリか、もしかしたら間に合わないかもしれない。
新宮を参拝できたが、本宮はそこからあと4〜5キロも離れた場所と気がついた時、既に閉園まで1時間半を切っていた。最後の2キロは徒歩でしかたどり着く方法がなかった。
それでも歩き始めると、途中でタクシーが停まってくれた。
運転手さんに『間に合うかギリギリですね。本宮まで行っても新宮とご利益はかわらないって、宮司さんも言ってましたよ〜。それでもわざわざ行きたいものなんですか?』
と聞かれた。
『でも行ってみたいんです!』
『行く方はみんなそう言いますよね』と笑われたꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)
ただそうしてみたい。それがしたいからする。効率とかご利益とかそういう問題じゃなく、ずっと行ってみたかった。
以前の私なら、なぜ今日はうまくいかないんだろうと焦ったり、私は呼ばれてないんだといじけたり、間に合わなそうなら諦めるという選択をしていたかもしれない。
それでもなんだか大丈夫な気がして、その日は焦りはなかった。
道のりが楽しかった。間に合わなくてもきっと結局楽しい。
そして閉園ギリギリになんとか間に合い到着すると、その景色が目の前に広がっていた。
夕日と湖の中の鳥居が一直線に並び、まるで龍さんがゆらゆらと鳥居の向こうからこちらへ泳いで来るような気がした。
やっぱり今日はうまくいってなかったわけじゃなかったんだ。
ちゃんと私はずっとうまくいっていた。そう心から感じた。
この時間にこの場所に到着しなければ、夕日と鳥居は並んでいなかった。
乗り継ぎがスムーズだったら、この素敵な景色はみられなかったんだから。
望みというものは、叶えるために行動をして初めて、なぜそれを望んだのか?という本当の理由がわかるのかもしれない。
やってみなければ何もわからない、知ることもできないんだ。
なぜそれがしたいのかを頭で考えると、なんだかそれが無駄なことのように思えたり、必要性を探してしまう。
自分の望みをシンプルに叶えていく。
これが本当に大切なことなんだと、キーパーソンさん、時には3期生の仲間から、たくさん気づかせてもらった。
academyを受けてみたい。でも、今まで何をやっても変わらなかった。うまくいかなかった。
私はそんな人にこそacademyを本当に薦めたい。
素敵な魂の仲間に出逢い、本物のスピリチュアルに触れられるはず。
人生で最も自分が変わった3ヶ月に感謝。(まだ終わってないけど)
話があっちゃこっちゃ散らばったけど…(^^;;
読んでくださってありがとう🪷
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